歌舞伎で風紀が乱れる?江戸時代に歌舞伎や相撲が”危険視”されていた理由【後編】 (3/4ページ)
江戸時代から明治時代の博徒の代表格・清水次郎長(Wikipediaより)
そんな状況下で、相撲や歌舞伎などの地方巡業は、地元の無頼者が勧進元となって取り仕切るようになります。
やがて映画や流行歌・芝居などの娯楽が登場しますが、それらの興行も無頼者の支えなくしては成り立たないものでした。
人気の流行歌手や映画界のスターが、無頼者の親分の酒盛りに侍らされるのも当然の光景だったのです。
戦後に進んだ規制また、狭い区域に多くの観衆を集めるという構造上、興行は暴力による妨害に弱いという側面もありました。
当時は警備会社も無かったので、無頼者の暴力から身を守るために別の無頼者をボディーガードとして使うことも、当たり前のように行われていたのです。
このような、無頼者による興行界の支配は戦後しばらく続きましたが、昭和36年(1964)に警視庁が組織暴力犯罪取締本部を設置します。