江戸時代の越後屋呉服店(三越)はこうして大成功した!盗賊にも狙われた大店の実態 (2/3ページ)
現代から見れば当たり前のようなシステムですが、実はこうしたやり方を商売として最初に取り入れたのが越後屋呉服店だったのです。
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江戸には伊勢商人や近江商人が集中しており、前述の三井高利も伊勢出身です。
江戸にあった大店の中には、西日本の経済の中心地である大坂や京都、伊勢や近江に本店(仕入れ店)があることも珍しくありませんでした。
江戸の大店は支店にあたり、奉公人だけということもあったようです。数百人規模の大店に対して、奉公人が数十人程度の店は中店と呼ばれ、木綿や薬などを扱うことがよくありました。
上方などに本店(仕入れ店)があることからわかるように、江戸の商人は各地から送られてくる商品を引き受けて商売をしていました。
やがて、江戸の商人たちはより利益が大きい、直接買い付けによる販売にも手を伸ばすようになります。
17世紀後半になると同業者同士で問屋仲間をつくり、商品の輸送管理を共同で行いました。そのため、江戸で最も多い商店は問屋で約3,000店あったといわれています。
「超ブラック」の奉公人店のオーナー経営者は基本的に世襲で、中にはあまり経営にかかわらない者もいました。
