江戸は“カフェ文化”の先駆け!?おかず、おやつ…江戸庶民が生んだ様々な日本の食文化の始まり
「おかず」「おやつ」の誕生
『鬼平犯科帳』や『仕掛人藤枝梅安』には、菜飯や白魚の卵とじ、ハゼの煮物、アサリの鍋などさまざまな料理が登場します。
実際に当時の江戸の街では食材も豊富で、調理方法もバリエーションに富み、現在でも遜色ない味わいの料理が多かったようです。
近郊で獲れた豊富な食材や、流通網の発達によってもたらされた調味料や鰹節などから、長屋暮らしの家族が多かった江戸では、菜屋や煮売屋と呼ばれる惣菜店が大繁盛しました。
主食はご飯が一種類でしたが、菜屋・煮売屋などで買われた副食物を数種類を付けたので、「お数(おかず)」と呼ばれるようになります。
ちなみに「八ツ」(午後2時頃)に軽食を取る「おやつ」の習慣が登場したのも江戸時代です。
店舗を構える店以外に、移動式で煮しめ・茶飯・雑炊・蕎麦・天ぷらなどをその場で食べられる、多種多様な屋台も存在していました。
大店が集まる繁華街はもちろんのこと、火事が多かった江戸に設けられた火除け地である広小路には、恒久的な建物を建てることが禁止されていたため、床店(床見世)と呼ばれる移動式店舗や、よしず張りの見世物小屋などが並びました。
特に両国広小路(現在の東日本橋あたり)は江戸一の賑わいといわれました。
日本のカフェところで、時代劇では茶屋がよく登場しますが、この、いわば日本版の「カフェ文化」が流行したのにも理由があります。
関西ではお茶を煮出してつくり置き、客に提供していましたが、江戸では注文ごとに茶こしに茶を入れ、熱湯を注いで提供していました。これは濾茶と呼ばれました。
江戸後期の『守貞漫稿』には、「京都・大坂の粗茶の宿煮(煮出した茶)よりも濾茶の方がはるかにまさっている」とあるほどです。
こうしたお茶と団子などを供する茶屋・水茶屋が出現したのが江戸初期の寛文・延宝年間(1661~1681)の頃だといわれているので、江戸では早くからカフェ文化が広まったことがわかります。
ちなみに腰掛茶屋の場合、お茶一杯が大体5文(100円)程度でした。現代のカフェでは、少し気の利いたコーヒーでも700円くらいはしますが、当時のお茶一杯は自動販売機程度の値段だったことになります。
『鬼平犯科帳』の「兇賊」には、居酒屋・加賀やが登場しますが、この居酒屋が誕生したのが江戸の鎌倉河岸でした。
元文年間(1736~1741)に酒店の豊島屋が店を改造し、馬方田楽と呼ばれる大きな田楽豆腐とともに酒を提供。「でんがくを喰い喰い離れ馬を追い」と川柳で詠まれるほど大賑わいとなりました。
それまで酒は量り売りで持ち帰りが基本でしたが、料理と酒をその場で味わえる画期的な居酒屋が誕生したのです。
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