名作『劔岳 点の記』は史実と違う?名峰の”初登頂”に至った者・至らなかった者は誰か? (3/4ページ)
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下山した生田は、登頂ルートは難路なので、三等三角点の選点に要する資材や測量機器の運搬は不可能であることを柴崎に告げます。
そして7月28日、柴崎らは同じルートを使って登頂を果たし、四等三角点を設けて任務を完了しました。
この時、長次郎が頂上に立った事実は確認できていません。隊長の柴崎も山頂には至りませんでした。またここまでの経緯を見ても分かる通り、この任務に長次郎は不参加でした。
つまり、映画や小説のように、ふたりがともに剱岳山頂に立ったという事実は確認できないのです。
それから…長次郎が再び剱岳に姿を見せるのは2年後のことでした。1909(明治44)年、今度は日本山岳会の吉田孫四郎と石崎光瑤に、一般登山者の初登頂の案内を請われたのです。
