朝ドラ「ばけばけ」雨清水傳(堤真一)のモデル、幕末の長州征伐で武功を挙げた小泉弥右衛門湊の晩年の苦境 (2/4ページ)

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松江藩上級武士として幕末に活躍

天保8(1837)年、小泉弥右衛門湊は父・弥右衛門(7代目)岩苔の嫡男として生を受けました。

小泉家は松江藩における上級家臣の家柄で、代々番頭(ばんがしら)を務め、家禄は300石と伝わります。

松江藩における三職(家老・中老・番頭)を務める家は、1000の藩士のうちわずか50家。どれほどの家だったかがわかりますね。

初代弥右衛門は近江を本国、生国は因幡の侍で、のち松平直政に召し抱えられ、2代目以降は番頭に昇進する家格を確立。嫡子は家督と同時に「組外」という格式(他家の采配下に入らない特別の身分)を与えられ、湊に至る8代まで、この系譜は維持されます。

やがて父・岩苔が病気で引退すると、湊は家督を相続。8代目弥右衛門として小泉家を率いる立場となりました。

青年期の湊は小兵ながら武芸に精通。藩の習兵所で取締役を務め、藩士の軍事・人材育成に関与しました。

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