朝ドラ「ばけばけ」雨清水傳(堤真一)のモデル、幕末の長州征伐で武功を挙げた小泉弥右衛門湊の晩年の苦境 (4/4ページ)
湊を悩ませた晩年の後継者問題
湊が立ち上げた会社は、大阪方面まで販路を伸ばすなど、当初は順調な売り上げを上げていました。
しかし業界全体が縮小傾向にあり、次第に売り上げは低迷。やがて会社は倒産の憂き目に遭ってしまいます。
家運が傾く中、湊自身もリウマチを患って寝込むようになりました。
看病にあたったのは、稲垣家の養女となっていた娘のセツです。湊自身、セツに感謝する言葉を残しています(このとき、親子の名乗りはしていたのか。気になりますね)
この状況で長男・氏太郎は町娘と駆け落ちして出奔。次男は夭逝しており、三男・藤三郎を後継者とします。
ところが藤三郎は勉強や家業をサボり、山野を駆け巡り鳥の繁殖に夢中になる青年でした。
病床にあった湊は、藤三郎を鞭で叩き「親不孝者め。その腐れ根性を叩き直してくれる」と怒鳴ります。
明治20(1887)年5月、湊は帰らぬ人となりました。享年51。
小泉湊は、武士として誇り高い生き方を追求し、あくまで人のために生きた人生であったと言えるでしょう。
娘・セツは実父である湊への敬愛を生涯抱き続け、その生き方が現代にも伝承されています。
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