朝ドラ「ばけばけ」雨清水傳(堤真一)のモデル、幕末の長州征伐で武功を挙げた小泉弥右衛門湊の晩年の苦境 (3/4ページ)
長州征討の図(坂本龍馬作成と伝わる)。湊も幕府側として参戦していた。
幕末の緊張が高まるなか京都守衛に出動。慶応2(1866)年の第二次長州征伐では1隊の指揮を執って長州兵を砲撃で撃退するという武功を挙げました。人物像は「意志強固で覇気に富む」と評されています。
塩見家の娘チエとの結婚とセツの誕生成長した湊は、やがて家族を持つこととなります。
嘉永4(1851)年、15歳となった湊は、塩見増右衛門の娘チエと結婚。チエは「ご家中一の器量よし」と言われた美人でした。
チエとの間には、11人の子宝に恵まれます。
そのうちの一人が後年ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の妻となる小泉セツです。セツは慶応4(1868)年2月4日生まれで、生後7日で親族筋の稲垣家(家禄100石)に養子に出されています。
家族に恵まれた湊ですが、時代の変化は彼を翻弄していきました。
明治2(1869)年、松江藩は版籍奉還。明治4(1871)年には廃藩置県を経て、島根県となりました。
これにより、士族層は家禄を失い生活基盤が揺らぎます。
湊は明治期、旧藩士の娘たちの働き口を作るために機織(はたおり)会社を立ち上げ、家族や縁者を支えようとしました。セツ自身も11歳の頃から織子として働いたことが記されています。