”幕末”はペリー来航以前から始まっていた!泰平の世を揺るがした「内憂外患」とは? (2/4ページ)

Japaaan

それが長州や薩摩で、なんと人口が約60%も増加しています。その後なぜ薩摩と長州が明治維新の中心となりえたのか、その要因が江戸時代の終わりにあったことが分かりますね。

ラスクマン事件

そして次に「外患」ですが、18世紀末、その危機は北方からやってきました。

松平定信が寛政の改革を進めているとき、ロシア使節のアダム・ラクスマンが日本人漂流民を届けるとともに、通商を求めて北海道の根室に来航します。ラクスマン事件です。

アダム・ラクスマン(Wikipediaより)

すでに国後島のアイヌが蜂起して松前藩に鎮圧された後だっただけに、幕府はアイヌとロシアの連携の可能性をおそれており、幕府は江戸湾と蝦夷地の防衛の強化を諸藩に命じることになりました。

ラクスマンの通商要求と江戸入港許可の要求以後、幕府は択捉島の探検を進めてロシアとの国境線を択捉島の外に設けようとし、蝦夷地への入植や東蝦夷の直轄地化なども進めていきます。

1804年には、さらにロシア使節レザノフが今度は長崎に来航します。ところが通商要求を拒否して冷淡な対応で追い返したため、これに怒ったロシア軍艦が樺太や択捉を攻撃するという事件にも発展しました。

フェートン号事件

1811年、国後島に上陸したロシア軍艦の艦長ゴローウニンが日本側に拘束監禁される事件が起こると、ロシアも北方での航路を開拓していた商人高田屋嘉兵衛を抑留して両国の関係は一気に緊張します。

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