朝ドラ「ばけばけ」病に侵され奪われた未来…錦織友一(吉沢亮)のモデル、大盤石こと西田千太郎の生涯 (2/5ページ)
当時の武士は上から騎士・徒士・卒という身分に区分されていました。この最下層の卒が足軽です。
千太郎の家は、武家社会において出世を望める地位ではありませんでした。
西田家は、武士の中では最下層である足軽身分であった。しかし千太郎は、身分制度の終わりと共に飛躍していく。
しかし当時は風雲急を告げる幕末の時代です。旧来の身分制度はすぐに瓦解することとなります。
慶応4(1868)年、鳥羽伏見の戦いが勃発。勝利した明治新政府が新たな時代を築いていくこととなりました。
明治維新によって、政府はさまざまな改革を実施。その中には武士(士族と改称)たちの秩禄(給料)も含まれていました。
松江藩においても、多くの武士たちが困窮。千太郎の実家も困っていたことは想像に難くありません。
明治6(1873)年、千太郎は藩校であった修道館に入校。次いで同年に設置された雑賀小学校に入学して勉学に励みます。
明治は身分制度が変動した時代です。本人の努力次第によっては、成功する道も用意されていました。
明治9(1876)年、千太郎は勉学の末に教員伝習校変則中学(松江中学校)に入学。教員を目指して更なる勉学に励むようになりました。
千太郎の成績は学年でトップに躍り出るほどでしたが、ここで悲運に見舞われます。