朝ドラ「ばけばけ」病に侵され奪われた未来…錦織友一(吉沢亮)のモデル、大盤石こと西田千太郎の生涯 (3/5ページ)
明治13(1880)年、千太郎は中学を中退。元来体が弱かったことと、実家の貧困のためと言われています。
やむなく千太郎は、授業手伝として母校の松江中学で学生たちに勉学を教える立場となりました。
ドラマ「ばけばけ」の中で銀二郎が「資格が無いまま教えていた」と語る一節がありましたね。あれはこれをモデルにしていると思われます。
東京への遊学と教壇への道授業手伝として働く千太郎は、少しずつ自分の道を踏み固めていきます。
明治17(1884)年、千太郎は安食クラと結婚。翌明治18(1885)年に長女キンが生まれました。
しかし子供が生まれてすぐ、千太郎は松江中学を退職。千太郎の脳裏には、すでに次の道が見えていました。
この後、千太郎は東京に遊学。「ばけばけ」でヒロイン・トキが出会うシーンで描かれましたが、正式な教員を目指すために勉学に励んでいたと思われます。
明治19(1886)年、千太郎は文部省の実施する中等教員検定を受験。心理学・倫理学・経済学・教育学の4科目に見事合格し、同年には兵庫の姫路中学の教員として働き始めます。
翌明治20(1887)年には、香川の済々学館の教長に就任。順調に教員としてのキャリアを築いていました。
明治21(1888)年には、島根県尋常中学校(のちの松江中学校)へ復帰。翌明治22(1889)年には島根県尋常中学校教頭心得兼務となって、教授法の改善や経費節減など運営面にも腕をふるいました。
小泉八雲との出会いと過ごした時間やがて千太郎に運命的な出会いが訪れます。
明治23(1890)年、ラフカディオ・ハーン(のちの小泉八雲)が英語講師として着任。