朝ドラ「ばけばけ」病に侵され奪われた未来…錦織友一(吉沢亮)のモデル、大盤石こと西田千太郎の生涯 (5/5ページ)

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明治24(1891)年には島根県尋常中学校の校長心得に就任。島根県を代表する教育者の一人となっていました。

明治27(1894)年には、島根県私立教育界から功績賞を受賞。長年の業績が評価された瞬間でした。

受賞後も千太郎は慢心することなく、後進の指導に当たります。しかし身体は徐々に結核に侵されていきました。

千太郎は欠勤がちになりながらも教職としての仕事を続行。教育界での信望は厚かったと伝わります。

明治30(1897)年3月15日、千太郎は尋常中学校校長心得に 在職中に世を去ります。享年36。

松江の、いえ、日本の教育と文化に刻んだ足跡は大きなものでした。

西田千太郎の仕事は、派手な著作や政治的業績ではなく、「人を育て、友の仕事を支え、地域の文化を磨く」という地道な営みでした。八雲の筆致や取材の奥行きには、千太郎の知恵と実務が確かに息づいています。

松江の塩見縄手。この道を千太郎もセツも通ったのだろうか。

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