岩倉使節団の裏で進んでいた“不平等条約の完成”――明治政府が犯した外交の失敗・アメリカの罠【前編】 (2/4ページ)
1869年、当時の北ドイツ連邦とと、またオーストリア・ハンガリー帝国とも通商条約を結んだのですが、ここで諸外国に認めていた特権に施行細則が付則され、関税面、治外法権面での不平等が具体的に確定してしまいました。
教科書で教えている「不平等条約」はこの段階で完成したのです。
1869年は戊辰戦争が終わり、幕府が消滅して明治政府がようやく外交権を得た年です。諸外国に政権を認めてもらうための焦りがこのような結果をもたらしたのでしょう。
教科書では、不平等条約は幕府から引き継いだと説明されがちですが、これは誤りで、明治政府が江戸幕府を貶めるために流布させたデマです。
そして不平等条約に関してあまり知られていない明治政府のやらかしは、他にもあります。ここでは、岩倉使節団の知られざる失敗エピソードを前編・後編に分けて紹介しましょう。
岩倉使節団の目的1871(明治4)年、右大臣・岩倉具視を大使とする使節団「岩倉使節団」がアメリカ・ヨーロッパに派遣されました。