明治政府が犯した外交の失敗・アメリカの罠――岩倉使節団の裏で進んでいた“不平等条約の完成”【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

アメリカが全権委任状を持たない相手とは交渉しないというのは当然といえば当然です。

そこで大久保利通と伊藤博文は日本に委任状を取りに帰ることになります。これには往復でざっと四ヶ月かかります。完全な二度手間でした。

木戸孝允の心配

アメリカに残った木戸孝允はこの無為な時間をとても苛立っていたようで、日記の中で「使節団への参加は一生の誤りだった。今更ながら後悔している。」とまで書いています。

木戸には他にも心配があったのです。

伊藤はアメリカの政治家たちの評判もよく、不平等条約の改正を積極的に進めようとしていました。

それで、開港場数を増加し、外国人居留地を撤廃して外国人の雑居を認め、輸出税を廃止するなどのアメリカ側の要求を丸のみしようとしていたのです。

「このままでは日本の国益を大きく損ねる」というのが木戸の危惧でした。

桂小五郎(木戸孝允)像

もちろん伊藤には、譲歩するのと引き換えに関税自主権を回復するという戦略があったのでしょう。

しかし関税自主権の回復をちらつかせられ、結局アメリカの要求を先に飲み込まされるのではあまりに危険です。

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