明治政府が犯した外交の失敗・アメリカの罠――岩倉使節団の裏で進んでいた“不平等条約の完成”【後編】
委任状がない
前編では、岩倉使節団が不平等条約の延長のために渡米しますが、森有礼によって条約の「延長」ではなく「改正」の本交渉開始を持ちかけられたところまで説明しました。
岩倉使節団の裏で進んでいた“不平等条約の完成”――明治政府が犯した外交の失敗・アメリカの罠【前編】サンフランシスコに到着して以来、使節団一行は各地で大歓迎されます。
歓迎ムードの中で伊藤博文は森有礼と駐日公使デロングの提案に乗りました。もともと使節団の目的は条約改正の延期にありましたが、それが条約改正の交渉に変更されたのはこの時です。
しかしいざ条約交渉を開始しようとすると、国務長官フィッシュは全権委任状を要求します。条約改正交渉の唯一の代表がこの使節団である、ということを証明しろというわけです。
もともと使節団は延期の交渉に来ているだけで、条約を結び直しに来ているわけではありません。アメリカが全権委任状を持たない相手とは交渉しないというのは当然といえば当然です。
そこで大久保利通と伊藤博文は日本に委任状を取りに帰ることになります。これには往復でざっと四ヶ月かかります。完全な二度手間でした。
木戸孝允の心配アメリカに残った木戸孝允はこの無為な時間をとても苛立っていたようで、日記の中で「使節団への参加は一生の誤りだった。今更ながら後悔している。」とまで書いています。
木戸には他にも心配があったのです。
伊藤はアメリカの政治家たちの評判もよく、不平等条約の改正を積極的に進めようとしていました。
それで、開港場数を増加し、外国人居留地を撤廃して外国人の雑居を認め、輸出税を廃止するなどのアメリカ側の要求を丸のみしようとしていたのです。
「このままでは日本の国益を大きく損ねる」というのが木戸の危惧でした。
もちろん伊藤には、譲歩するのと引き換えに関税自主権を回復するという戦略があったのでしょう。
しかし関税自主権の回復をちらつかせられ、結局アメリカの要求を先に飲み込まされるのではあまりに危険です。
「最恵国待遇」という罠さて、大久保と伊藤が日本に帰国している間、木戸はアメリカにいた駐日ドイツ公使のブラントと面会しました。
ブラントは、日本がアメリカと単独交渉を進めようとしていることに驚きます。そこで木戸はアドバイスを受けました。それは、最恵国待遇という不平等条約の付帯事項のことです。
仮に条約改正のために日本が大幅に譲歩して、開港場数を増加・外国人居留地を撤廃・輸出税廃止などをアメリカに認めてしまうと、それら全てを他国にも認めることになってしまうルールになっていたのです。
この点を、伊藤や森はもちろん、木戸や大久保も忘れていました。
これを受けて、木戸はアメリカとの単独交渉は勇み足だったと気付きます。岩倉具視も同感で、ここでアメリカとの単独交渉は打ち切られることになりました。
大久保と伊藤は、委任状を得て再渡米しましたが、二度手間のみならず完全に無駄足となりました。今の時代から見ればずいぶん間の抜けた話です。
教科書でよく見かける、岩倉使節団は渡米したものの条約改正には至らなかった……そのかわり現地の文化を視察してきた、という短い説明文の裏には、こんなエピソードがあったのです。
余談ですが、幕末期を舞台にした石渡治の漫画『HAPPY MAN』には、主人公の桂小五郎がしょっちゅうブチ切れて頭から血を吹き出すギャグ描写があります。
もしもこの漫画の連載がもっと長く続いて「明治編」もしっかり描かれていたら、きっとこの岩倉使節団の渡米のエピソードでは、桂小五郎こと木戸孝允はしょっちゅうブチ切れていたことでしょう。
参考資料:浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
画像:Wikipedia
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