大河「べらぼう」寛政の改革により閉門処分…”県門の四天王”と称された加藤千蔭(中山秀征)の生涯 (2/4ページ)

Japaaan

天明8年(1788年)に病気のため与力を辞職。田沼政権の崩壊にともなって身を引いたものと考えられますが、松平定信らの追及を免れることはできません。

千蔭は旧田沼派の一人として閉門処分を受け、以降は学問に専念するようになります。

若くから諸学に親しんでいた千蔭は賀茂真淵(かもの まぶち)に師事。国学を修め、やがて県門の四天王と称されるほどの才覚を示しました。

【県門の四天王】

加藤千蔭 楫取魚彦(かとり なひこ) 河津美樹(かわづ うまき) 村田春海(むらた はるみ)

また本居宣長(もとおり のりなが)とも同門で、後にその協力を得て『万葉集略解』を出版しています。

ほか書を松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう)に学び、画は建部綾足(たけべの あやたり)に教えを受けました。

いっぽう門人も多く、著名なところでは大石千引(おおいし ちびき)・岡田真澄(おかだ ますみ)・清原雄風(きよはら たけかぜ)・窪田清音(くぼた すがね)らがいます。

他にも曲亭馬琴(滝沢瑣吉)が書を学んでいるなど、江戸後期の文化人たちに多大な影響を与えていました。

文化5年(1808年)9月2日に73歳で世を去り、回向院(えこういん。東京都墨田区)に葬られます。

「橘千蔭之墓」と刻まれた墓碑は千蔭が生前に自書したものと伝わり、東京都の旧跡に指定されました。

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