朝ドラ「ばけばけ」山岡鉄舟に入門した名剣士。江藤安宗(佐野史郎)のモデル・籠手田安定の生涯 (3/5ページ)
源之丞自身も、名門出身であることを胸に精進していきます。
平戸藩伝(藩主・松浦静山が達人であった)の剣術・心形刀流を学び、若くして免許皆伝に到達しました。
その剣の腕と家柄は、源之丞の未来を決定づけます。
平戸藩は源之丞を探索方に任命。風雲急を告げる幕末の京都で、情報収集を担わせました。
京の都に上った源之丞は、河原町の直心影流・戸田一心斎の道場に通って人脈を広げ、師範代・高山峰三郎らと出会います。
文久元(1861)年には、藩主・松浦詮の近習(秘書兼護衛)を拝命。藩主の身辺に支えて、間接的ながら藩政に関わる立場となりました。
しかし国内では、徳川幕府と薩長ら討幕派との争いが深刻化。源之丞も再び中央と関わることとなります。
慶応3(1867)年、源之丞は再び入京。京都市中の警備を担当。翌慶応4(1868)年には明治天皇の大阪親征に供奉しました。
すでにこの時点において、源之丞は平戸藩を代表する立場となっていたことがわかりますね。
明治時代の地方官としての歩み明治維新によって、日本の政治体制は大きな転換期を迎えます。
維新後、桑田源之丞は籠手田安定に改名。これは戦国時代に先祖が名乗っていた姓に服したものでした。
安定は新時代に際し、これまでに培った経験を活かす道を選びます。