朝ドラ「ばけばけ」山岡鉄舟に入門した名剣士。江藤安宗(佐野史郎)のモデル・籠手田安定の生涯 (4/5ページ)

Japaaan

明治元(1868)年、安定は大津県判事試補を拝命。新時代の地方役人としての道を歩み始めました。

翌明治2(1869)年には大津県大参事(副知事)となり、大津県の県政に深く関わる立場となります。

明治4(1871)年には全国で廃藩置県が施行。翌明治5(1872)年に大津県は滋賀県へと改称されました。

明治6(1873)年、安定は滋賀県参事を拝命。明治11(1878)年には、権令(県知事)に就任します。

そんな行政の只中でも、安定は剣をやめませんでした。

明治14(1881)年、一刀正伝無刀流の山岡鉄舟に入門。ついには高弟となって、やがて朱引太刀を授与されるほどの信任を得ました。

山岡鉄舟。幕臣として江戸無血開城の実現に奔走。明治天皇の信頼も篤かった。

翌明治15(1882)年の京都撃剣大会、明治16(1883)年の警視庁撃剣世話掛との試合など、明治剣史に名を残しました。

剣術との向き合い方が、安定の業績にも良い影響を与えたのでしょうか。

滋賀県の県政において、特に治水工事に注力。幾度の苦闘の末に田川カルバート(暗渠)の建設に漕ぎ着けます。

工事は明治16(1883)年11月に起工。翌明治17(1884)年6月に竣工となり、安定は長浜の水引神社に祀られるほど感謝されました。

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