日本の中心に息づく逆臣・明智光秀の血──「本能寺の変」の“その後”に残された末裔たちの真実 (3/4ページ)
最近の研究では、細川家を通して天皇家にも光秀の血が流れている可能性があるとされ、「裏切り者の血が、日本の中心に息づいている」という歴史の皮肉に驚く人も多いでしょう。
けれども、これは光秀が築いた“家の知性”と“理想主義”が、時代を超えて評価された証でもあるのです。
光秀が築いた町――福知山光秀は織田信長の命を受けて丹波を平定したあと、福知山を治めました。それまで山間の一地方にすぎなかった福知山を、彼は徹底的に整備します。治水工事を行い、道路や城下町を碁盤の目状に再編し、税制も整備しました。その政治力は高く評価され、光秀の治めた丹波は“平和で豊かな国”と称えられたほどです。
しかし、本能寺の変のあと、福知山は秀吉の支配下に置かれます。城主は次々と代わりましたが、光秀の作った町の骨格は今も残っています。中心市街地の区画や用水路の一部は、光秀時代の設計を受け継いでおり、まさに“彼が築いたまち”として今も息づいているのです。
“逆臣”から“郷土の英雄”へ
福知山には「明智藪」や「光秀井戸」など、光秀ゆかりの地名が今も多く残ります。また、春には「福知山光秀まつり」が行われ、地元の人々が光秀の功績を称えます。NHK大河ドラマ『麒麟がくる』(2020年)放送時には、福知山城や資料館が全国から注目を集め、観光客が殺到しました。
かつて“逆臣”と呼ばれた武将が、いまや“郷土の誇り”として再評価されている。これは、時代の流れが彼の理想を見直した証拠ともいえるでしょう。
信長を討った理由が「理想の政治への反逆」であったなら、光秀は単なる裏切り者ではなく、“信念を貫いた政治家”だったのかもしれません。