古代の天皇陵、実はほとんどが別人の墓!それでも宮内庁が陵墓と言い続けるのはなぜ?【前編】 (2/5ページ)
古墳時代とは、大王家(天皇家)や有力豪族をはじめとする人々が大小様々な墳墓を造営した時代の総称で、おおよそ3世紀後半(西暦250~300年)から7世紀末(西暦700年)までを指す。したがって奈良時代に入ると、古墳という名は使われず墳墓となるわけだ。
この約400年間に、北海道・東北北部・南西諸島を除く日本列島各地に、前方後円墳・円墳・方墳・八角形墳など、さまざまな形の古墳が数多く造営され、その数は16万基を超えるとされている。
このような古墳の中で、ヤマト国家の大王、すなわち後の天皇と称される人たちの墳墓とその一族(皇族)の墓を大王墓・陵墓と称する。その数は、天皇陵と名付けられた古墳を中心に900基近く存在し、そのほぼすべてが陵墓・陵墓参考地として宮内庁の管理下に置かれている。
現在、陵墓・陵墓参考地は、一切の立ち入りが禁止され、学術的な発掘調査も厳しく制限されている。日本では、戦後の皇国史観からの脱却もあり考古学が著しく発展したが、陵墓・陵墓参考地の治定は、そうした考古学的知見を十分に反映することなく行われているのが実状である。