【世界遺産】熊本県・万田坑(まんだこう)はなぜ“近代日本の鍵”だったのか?技術と歴史を読み解く (2/3ページ)
「万田坑(まんだこう)」が歩んできた歴史
万田坑は、三井が当時日本の炭鉱の模範とすべく、総力を挙げて整備を開始しました
1897年(明治30年)に開削(かいさく:土地を切り開いて道路や運河などを通すこと)が始まり、1902年に第一竪坑、1908年に第二竪坑がそれぞれ完成しました。規模は日本最大規模を誇ります。1902年(明治35年)からは実際に出炭が開始されました。
竪坑の完成、そして大正から昭和にかけて、さまざまな施設も作られていきました。本格的に創業が開始された明治末期ごろには巻揚機室、デビーポンプ室、鍜治場、櫓、扇風機室、汽罐場などが完成。
大正期には、出炭量の増大を目指し、より良い技術の導入・開発がなされ、鍜治場、鋳物場(いものば)、溶接場などが作られ、全体としてのシステムが完成しました。
ちなみに、施設で利用された機械類は、日本製のものだけではなく、イギリス、ドイツ、アメリカ、スイス製のものもありました。たとえば、安全灯室及び浴室、事務所はイギリス積みの煉瓦造り、第二竪坑櫓の鋼鉄はイギリス製であることが判明しています。
