和田竜 12年ぶり新作『最後の一色』怪物武者・一色五郎の武勇伝と非業の最期をたどる (2/4ページ)

Japaaan

人質として娘の伊也(いや)を嫁がせ、以後は五郎と藤孝で丹後国を分割統治することになります。

かくして織田と和睦した五郎は、織田政権下における丹後国守護職として認められました。

天正9年(1581年)の京都御馬揃に参加したり、天正10年(1582年)の甲州征伐に参陣したりと、半ば織田家臣のような立場に置かれていきます。

しかし決してそれに甘んじていた訳ではないらしく、五郎は西隣の但馬国の山名堯熙(たかひろ)と関係を深めるなど、叛旗を翻す機会を窺っていたのかも知れません。

そんな天正10年(1582年)6月に本能寺の変で信長が横死を遂げると、五郎は明智光秀に与することを決断しました。

舅の藤孝もそうするだろうと思っていたのでしょうが……藤孝は結果的に光秀から離反。間もなく光秀は山崎の合戦で敗死し、その残党として五郎は謀殺されてしまったのです。

時は天正10年(1582年)9月8日。藤孝の居城である宮津城(京都府宮津市)へ招かれ、自害に追い込まれたということです。

宮津城へ同行していた将兵ら100名も、長岡家臣の松井康之(まつい やすゆき)や米田求政(こめだ もとまさ)らによってことごとく討ち取られ、弓木城に残っていた者たちも降伏したのでした。

こうして「最後の一色(丹後国守護職としての一色家当主)」は、戦国乱世の舞台から姿を消したのです。

その後、叔父の一色義清(よしきよ)が弓木城を奪還。激しく抵抗したものの、長岡勢によって攻め滅ぼされてしまいました。

※この義清こそ「最後の一色」とする説もあります。

『最後の一色』における一色五郎は?

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ここまで、実在した?とされる戦国大名・一色五郎(義定?義忠?)について、その生涯を駆け足でたどってきました。

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