【べらぼう】写楽は歌麿と蔦重の子供!?“業と情”そして因果の絡み合った写楽の絵とは? (3/5ページ)
絵師はともかく、本屋なんて連中は「歌麿」の名前さえ入っていれば、絵の中身やまして技法なんてどうでもいい。
そしてそれは、お宅のご主人(蔦重)も同じじゃないのかい?かつて自分に「弟子の描いた絵にちょっと手直しすりゃ、立派な歌麿作だ」なんて言ってたでしょう。
しかしそれが蔦重の本意でないことは、おていさんが持参した「歌撰恋之部」が証明しています。以前蔦重に「恋心」と称して手渡した下絵が、すべて完成したのでした。
「これは蔦屋重三郎の恋文、正しくは恋文に対する返書にございます」
毛割や着物の柄や色味にまでこだわり抜いて、摺師と何度も大喧嘩したこと。板元印と署名の位置関係には最後まで悩み抜いたこと……たとえ歌麿が望む形(恋心)ではなかったにせよ、蔦重が歌麿を想い続けてきたのは間違いありません。
確かにそれはそれで尊いけれど、それに振り回され続けるのはもうたくさんだ……うんざりする歌麿に、おていさんは畳みかけるように宣言しました。
「私は、出家いたします!」
歌麿の本心は百も承知。自分の存在がそれを妨げていることも重々承知。身を引く訳ではないが、これまで喪われてきた命の菩提を弔いながら、蔦重と寄り添って生きて行きたい。
だから代わりに、寄り添う者が必要だ……そんなおていさんの言葉を、歌麿はあっさり「嘘だね」とお見通し。
「見抜かれてしまいましたか」最後の切り札も通じないとなれば、おていさんも本音を切り出すよりありません。
「見たい」
本屋の端くれとして有態に言えば「二人の男の業と情、因果の果てに生み出される絵」というものを、ぜひ一度見てみたい。
それを成し遂げられるのは、蔦重と歌麿を措いてないと確信したからこそ、おていさんは心底の欲望をむき出したのでしょう。
これまで一貫して「蔦重のために」行動してきたおていさんが、一切の建前をかなぐり捨てて本音の欲望を突きつけたからこそ、歌麿は初めて揺り動かされたのです。