徳川家康が愛した“無欲の男”——静岡の地名にも残る謎の豪農・惣右衛門とは何者だったのか? (3/4ページ)
家康もしばしば当地を訪れ、彼を「みだらけ惣右衛門」と呼んで、その誠実で無欲な人柄を愛しました。
みだらけ、とは漢字で「御百性家」と書くそうです。御『百姓』家ではなく、あえて御百『性』と書きます。
役職に推薦しても辞退し、金銭を下賜しても人々に振る舞ってしまう無欲な様子を指す言葉として、長く言い伝えられてきました。
そんな御百性家こと良知家には、徳川家より賜ったモノや逸話が残っています。
一、徳川家光の腹掛け徳川家の第3代目をめぐって対立があったころ、家光(家康の嫡孫)の乳母であった春日局(かすがのつぼね)がお忍びで良知家を訪れました。
「家光を世継ぎに推すよう、一緒に家康を説得してほしい」とお願いするためだったと言われています。
家光が幼少期に用いたという腹掛けは、連帯の証として与えられたのかも知れません。
一、重傷の家康を保護家康が鷹狩りに出た際、何者かに狙撃され、重傷を負ってしまいました。惣右衛門は急いで家康を保護し、看護に当たったというのです。
一、久能山東照宮のカギ家康が世を去った後、その亡骸を祀る久能山東照宮の廟門を開閉するカギが、良知家に預けられました。以来毎年の東照宮祭(家康の命日祭)には良知家が廟門を開閉する役目を務めたと言います。
ちなみにカギは戦後、久能山東照宮に奉納(返還)されたそうです。
惣右衛門は春日局からも信頼されていた?(画像:Wikipedia)
……いずれも「ホントかなぁ?」と思ってしまいますね。