「天保の改革」で失脚の水野忠邦、実は老中トップに返り咲いていた!異例の復活を果たした男の結末は? (2/4ページ)
彼は上知令以外の改革を引き継ぎましたが、江戸城の火災や対外問題への対応で失敗し、将軍・家慶の信頼を失ってしまいます。
そんな政治的空白が生まれた1844年、オランダ国王ウィレム二世から特使コープスが派遣され、日本に開国を勧める国書が届いたのです。
外交は得意ここで驚くべき人事が起こります。一度は失脚したはずの水野忠邦が、外交手腕を買われて再び老中首座に任命されたのです。
これには周囲も驚きました。失脚した老中がトップに返り咲くというのは異例中の異例です。
実は、水野忠邦を語るうえで忘れてはならないのが、外交面での手腕です。
ドラマや小説では、忠邦は時代の変化に疎い頑固な政治家として描かれがちですが、実際はそうではありませんでした。彼は幕府のなかでも、海外情勢については極めて現実的な対応をした人物だったのです。
そもそも彼が抱いていた危機感は二つありました。一つは年貢収入が減っているのにお金遣いが荒い幕府の放漫財政。そしてもう一つは頻繁に姿を見せる外国船と、それに伴う沿岸住民の密貿易による鎖国体制の揺らぎです。