「天保の改革」で失脚の水野忠邦、実は老中トップに返り咲いていた!異例の復活を果たした男の結末は? (4/4ページ)
こうして問題となっていたオランダへの返答は、彼が担当することになりました。
そして阿部は「これまでの信義は守り貿易は続けるが、政治的な干渉は受け入れない」という絶妙な論理で、開国勧告を拒絶したのです。
結果だけを見ると、水野忠邦はこの時点で既に政治家として潮時を迎えていたと言えるでしょう。度重なる二度の失脚には、大した意味はないように見えるかも知れません。
しかし彼の復活がなければ権力闘争は起こらず、阿部正弘が抜擢されなかった可能性があります。
すると、後年のペリー来航時に、阿部が活躍して改革を進めることもなかったかも知れません。忠邦の失脚と復活は、こんな形でのちの歴史に思わぬ因果をもたらしたのです。
参考資料:
浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
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