幕末の人斬り・岡田以蔵のイメージに潜む多くの誤解——創作が歪めた史実とのギャップを解説【前編】 (3/4ページ)
さて一八六二年、以蔵は参勤交代の行列に加わる武士として選ばれ、京都へ上ります。ここから、いわゆる「人斬り以蔵」の物語が始まりました。
しかしこの、「人斬り以蔵」というイメージも実像とはかなり異なっています。
彼が尊王攘夷派の過激な活動である「天誅」に関わったことは事実です。実際、京都町奉行所の役人襲撃や、幕府のスパイと見なされた人物の殺害に関与したとされています。
ですが、田中新兵衛らと並んで幕末四大人斬りと呼ばれるのは、後世の創作物の中で生まれた呼称であり、当時の史料にそのような言葉は見当たりません。
「剣の腕だけが取り柄で、無差別に暗殺を繰り返した怪物」というイメージは、真山青果の戯曲や、先ほども名前が出た司馬遼太郎の小説によって作られたフィクションです。
【後編】ではさらに、岡田以蔵というキャラクターにまつわる複数のイメージとその誤解について解きほぐしていきましょう。