ペリーは提督ではない?“黒船”という名称も実際は…ペリー艦隊の誤解と意外なトリビアを解説
「代将」という役職
日本の開国を迫った有名なペリー提督。歴史の教科書でおなじみのこの人物について、正確な事実を整理してみましょう。
まず最も重要な点として、ペリーは「提督」ではありませんでした。当時のアメリカ海軍には「提督(Admiral)」という階級は存在していなかったのです。正しくは東インド艦隊司令官という役職でした。
なぜアメリカ海軍に提督がいなかったのでしょうか。これにはアメリカという国の成り立ちが深く関わっています。
アメリカ海軍は独立戦争の際に組織されましたが、戦争が終わると解散してしまいました。その後、1812年の英米戦争で再び編成されるという複雑な歴史をたどっています。
「提督」は終身階級です。つまり、一度提督になったら死ぬまでその地位を保持することになります。
しかし、アメリカ議会は海軍に終身階級を置くことを好ましく思いませんでした。そこで考え出されたのが「代将(Commodore)」という一時的な地位でした。
これは任務が終了すれば元の階級に戻るというシステムにもとづく地位です。ペリーも任務を終えた後は代将から大佐に戻っています。
最近の教科書では、こうした事実を反映して「ペリー提督」ではなく「東インド艦隊司令官」と表記されるようになっています。
「黒船」という名称も実際は…
次に「黒船」という呼び方についても見直してみましょう。多くの人がペリーの船を指す専用の言葉だと思っているかもしれませんが、実際はそうではありません。
「黒船」という呼称は安土桃山時代から使われており、外国の大型帆船全般を指していました。江戸幕府もポルトガル船を「黒船」と呼んでいた記録が残っています。
なぜ「黒船」と呼ばれたのかというと、船体に防水・防腐のためのピッチ(タール状の物質)が塗られていて黒く見えたからです。これは当時の造船技術では一般的な処理でした。
17世紀前半の長崎におけるポルトガルのナオ。黒色で塗られているため黒船と呼ばれた(Wikipediaより)
また、ペリー艦隊についてもよくある誤解があります。来港した4隻すべてが蒸気船だったと思われがちですが、実際は蒸気船2隻と帆船2隻の組み合わせでした。
騙されたペリーまだあります。ペリーの航路についてですが、彼は太平洋を直接横断してきたわけではありません。
実際に彼が通ってきたのは、大西洋からアフリカ南端の喜望峰を回り、インド洋、東南アジア、中国を経由して琉球に到達するという長大なルートでした。
琉球での出来事も興味深いエピソードがあります。ペリーは首里城の正殿への入城を強く要求しましたが、琉球側の巧妙な対応により、実際には北殿に案内されました。
しかも、偽の行政機関と役人を用意して対応させたのです。ペリーはこの事実に気づかず、まんまと騙されてしまったのです。そんな、ちょっと間の抜けたところもあったんですね。
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画像:Wikipedia
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