山形県のお正月を彩る伝統和菓子「初飴(はつあめ)」とは?あの戦国武将との深い関係も (2/4ページ)
もともと山形には、定期的に市が立つ市日町という場所がありました。
毎年1月10日に市神祭りとして、十日町から七日町にかけて多くの露店が立ち並ぶようになったのが、この初市の起源とされています。
この賑やかな市を始めたのは、山形城の城主であった最上義光公だと言われています。
義光公はただの武将ではありません。山形城の大改修を行い、城下町を整備し、商工業や交易を盛んにし、さらには最上川の交通網を整え、庄内平野の開発まで進めた人物です。
現在の山形市の基盤を築き上げた、まさに郷土の英雄と呼べる存在でしょう。
市の神様最上義光は慶長五年、西暦1600年の長谷堂合戦では徳川方につき、あの上杉景勝の重臣である直江兼続の軍勢と激しく戦いました。
その功績によって57万石、実質的には百万石とも言われる広大な領地を持つことになり、全国でも第五位の大大名へと上り詰めました。
武勇に優れていただけでなく、義光公は文化的な才能も豊かでした。特に連歌の才能は素晴らしく、戦国大名の中でも随一と評されていたほどです。
そんな文武両道の指導者のもとで育まれた初市は、江戸時代から現代に至るまで、その熱気を失うことなく続いてきました。
さて、この初市で忘れてはならないのが福を呼ぶ縁起物である切飴・初飴の存在です。