【豊臣兄弟!】桶狭間で織田信長(小栗旬)に討ち取られた今川義元(大鶴義丹)と家臣たち20人超を一挙紹介 (5/7ページ)
通称は五郎八郎(ごろうはちろう)・左衛門佐(さゑもんのすけ)。また正式な官職として内匠助(たくみのすけ)や備後守(びんごのかみ)を授かっています。
今川義元の近習や遠江国二俣城主(静岡県浜松市)を歴任し、西方遠征指揮官に選ばれました。
桶狭間では手勢200を率いて本陣の前備を担当。織田勢の奇襲を受けた際は義元を守るために本陣へ馳せ戻り、奮戦して討ち取られます。
松平忠良(ただよし)松平政忠の弟で、桶狭間では父の松平親広(ちかひろ)と共に出陣。義元を守るため敢闘するも、兄と共に討死しました。
松平政忠(まさただ)長沢松平家第7代当主。桶狭間で討死したため、嫡男の松平康忠(やすただ)が家督を継ぎます。
松平正親(まさちか)
大草松平家第6代当主で、通称は善四郎(ぜんしろう)・善兵衛尉(ぜんべゑのじょう)。
