悪役扱いされがちな政治家・山県有朋、“近代陸軍の父”が背負った4つのレッテルの真相 (4/5ページ)

Japaaan

日清戦争における日本軍歩兵の一斉射撃(Wikipediaより)

これは、後の軍部暴走とは別の問題です。山県が軍を掌握していた時代を見てみると、満州事変のような軍部暴走は起きていません。

むしろ山県はロシアとの協調を模索し、戦争回避に努めていたのです。軍閥そのものが軍部暴走につながったわけではありません。

政党政治への意外な評価

政党政治についても、山県は完全に否定していたわけではありません。ただ今は時期尚早だと考えていただけで、政党政治の有用性は理解していました。

その傍証となるのが、原敬との関係です。山県と原は対立的な関係にありましたが、山県から原に対する信頼は生涯変わらなかったと言います。

そして原が暗殺されたとき、山県は深く悲しみ、寝込むほどの衝撃を受けました。山県は単なる反政党の専制家ではなく、政治家としての力量を認める柔軟さを持っていたのです。

「悪役扱いされがちな政治家・山県有朋、“近代陸軍の父”が背負った4つのレッテルの真相」のページです。デイリーニュースオンラインは、山縣有朋山県有朋明治時代政治政治家カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る