『豊臣兄弟!』で織田信長と敵対していた織田伊勢守(織田信安)は何者?敗れ去った末路を紹介 (2/4ページ)
岩倉城主の織田敏信(としのぶ)が亡くなると幼くして家督を継ぎ、犬山城主の織田信康(信長叔父)に後見を受けたといいます。
やがて姉妹が織田信秀(信長父)の側室となったため、信長のおじになりました。
姻戚関係により、当初は信長と良好な関係を築いていましたが、信秀が世を去ると状況が一変します。
犬山城主の織田信清(信康子)が所領をめぐって信長と対立し、信安も恩のある信清に与したからです。
息子に追放され、伊勢守家が滅亡
織田伊勢守を討つべく準備を整える信長。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
天文22年(1553年)3月27日、信長と内通した疑いで家老の稲田大炊助(おおいのすけ)を粛清しました。
弘治2年(1556年)に美濃の斎藤義龍(DAIGO)が父の斎藤道三を討って国を奪うと、信安はこれに呼応。信長に対する敵意をむき出しにします。
同年に末森城主の織田信勝(信長弟・信行)が信長に叛旗を翻すと、信安はこれに加勢しました。
しかし信勝は永禄元年(1558年)に謀殺され、なおも信長に抵抗したものの、間もなく長男の織田信賢(のぶかた)によって岩倉城から追放されてしまいます。