『豊臣兄弟!』で織田信長と敵対していた織田伊勢守(織田信安)は何者?敗れ去った末路を紹介 (3/4ページ)
これは信安が信賢を廃嫡して次男の織田信家(のぶいえ)を後継者にしようと考えていたからでした。
信賢は独自に信長と戦ったものの、あえなく攻め滅ぼされてしまいます。かくして織田伊勢守家(岩倉織田家)は滅亡してしまいました。
なおも抵抗を続けたが……。
織田伊勢守の討伐に出陣した信長。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
仕方なく信安は美濃の斎藤義龍・斎藤竜興(濱田龍臣)の二代に仕え、なおも信長に抵抗を続けます。
敗戦を重ねる内に斎藤家が滅亡すると京都へ逃れますが、最早抗戦の術がありません。
やがて信長から同族のよしみで罪を赦され、美濃にわずかな所領を与えられました。
晩年は出家して常永(じょうえい)または玉甫(ぎょくほ)と号し、安土摠見寺(滋賀県近江八幡市)の住職となります。そして天正19年(1591年)10月24日に世を去りました。
すでに信長は本能寺で横死を遂げ、織田家臣であった羽柴秀吉(藤吉郎。池松壮亮)が天下を一統。そして羽柴秀長(小一郎。仲野太賀)は世を去っています。