大河【豊臣兄弟!】無刀で敵3人を討つ!織田信長「六人衆」の強者・伊東長久の武勇伝 (2/3ページ)
やがて川崎氏の娘を娶り、伊東長実(ながざね)や女子(平野道茂室)などを授かりました。
早くから信長に仕えており、槍の名手として評価されたのは先ほど紹介したとおりです。
天文21年(1552年)の萱津合戦(三本木村合戦)では、兜をかぶる暇さえ惜しいと編笠を引っ掛けて大立ち回りを演じました。そのため信長から「編笠清蔵」とあだ名されます。
やがて永禄年間(1558〜1570年)に信長の親衛隊である赤母衣衆(あかほろしゅう)に抜擢され、その後も武功を重ねました。
秀吉の部隊に配属
天正元年(1573年)の小谷城攻めでは羽柴秀吉(藤吉郎。池松壮亮)の部隊に配属され、ここでも大いに奮闘したのです。
あまりの奮闘ゆえか、気づくと刀も脇差もなくなっており、敵のまっただ中でさぞ困ったことでしょう。
しかしここで諦める長久ではありません。何と彼は無刀で敵を3人も討ち取り、しかも生還しているのです。一体どうやって敵を討ち取ったのでしょうか。
一、敵の武器を奪った?
一、そこら辺にある石ころや木の枝で攻撃?
一、まさか素手で殴り殺した?
どんな状況にあっても生き延びる、根っからの戦さ人だったようです。
この活躍が評価され、以後秀吉の配下として活躍。黄母衣衆(腰母衣衆)に選抜され、後に旗奉行を務めました。