【豊臣兄弟!】“寝返り” 秒読みな佐久間盛重…史実では織田信長に最後の注進、丸根砦で迎えた最期 (3/5ページ)
子供には佐久間重定(しげさだ。弥太郎、佐渡守)や女子たち(新庄直頼室・佐久間盛政室)がいます。
さて、永禄3年(1560年)5月の桶狭間合戦において、佐久間盛重は丸根砦(愛知県名古屋市緑区)の守備を担当しました。
……丸根山には 佐久間大学をかせられ……
※『信長公記』首巻廿三「鳴海之城へ御取出之事」より。
鷲津砦(わしづとりで。同市同区)や善照寺砦(ぜんしょうじとりで。同市同区)と連携して今川軍の牽制を図りますが、松平元康(松下洸平)に攻められて砦は陥落。佐久間盛重は討死してしまったのです。
異説として『三河物語』では「打もらされて落て(討たれずに逃亡して)」行ったとありますが、その後の記録はありません。
最後の注進で、信長立つ!
生首の血をすする佐久間盛重。月岡芳年「魁題百撰相 佐久間大学(盛重)」
かくして歴史の表舞台から去ってしまった佐久間盛重。最後の注進を受けた信長が敦盛を舞い、決死の覚悟で出撃したエピソードは有名ですね。