「大化の改新」の本質はなんと“豪族の脱税”を止める徹底した財政改革だった (3/5ページ)
例えば改新後に導入された班田収授の法は、その象徴です。
この制度では、土地はすべて国家のものとされ、農民には一定の面積を貸し与え、6年ごとに戸籍作成・土地測量・土地配分が全国一斉に行われました。
これは中国の均田法を参考にした制度ですが、日本ではより徹底して実行されました。豪族の私有地を解体し、国家が土地と人口を直接管理するための仕組みだったからです。
税制も租庸調という形で整えられました。租は米、庸は労役、調は布や特産物で、負担は収穫の三%ほどと重くありませんでした。
正倉に蓄えられた米は貧しい人への支給にも使われ、社会保障の役割も果たしていました。
税の内容が明確になり、徴収と支出が記録されるようになったことで、豪族が勝手に税を抜き取る余地は大きく減りました。
大国を押し返す力にさらに、国司制度と厳格な会計監査も脱税防止を支えました。
国司は4〜6年の任期で各地に派遣され、毎年「大計帳」「正税帳」「調帳」「朝集帳」を中央に提出します。
さらに現在の領収書にあたる返抄が発行され、収支は結解にまとめられ、国司交代時には未精算のものをすべて清算しなければなりませんでした。
現代の会計監査とほぼ同じ仕組みが、すでに古代に存在していたのです。
とはいえ、こうした制度改革を一気に行うには、豪族の力を削ぐ必要があります。豪族が私財を蓄えるのを防止するとなると、反発が起きるのは必至だからです。
特に蘇我氏は財政機関を握り、莫大な富を蓄えていたとされます。大化の改新で蘇我氏が排除されたのは、土地と税の国家管理を進めるための前提条件だったと考えられます。
改新の成果は、白村江の戦いにも表れています。