6個大隊を30分で揚陸!世界屈指の上陸能力を持った旧日本軍、なぜ太平洋戦争で戦略崩壊したのか (4/5ページ)
この悲劇はガダルカナルだけではありませんでした。ニューギニア戦線では輸送途中での撃沈が常態化し、3万トン以上の輸送船が失われます。
さらに、1944年のレイテ島における「多号作戦」では24隻のうち65%が沈没し、海軍艦艇を含めると75%が帰還できませんでした。
多くの兵士が戦う前に飢えで倒れ、この戦場は大岡昇平の『野火』の舞台ともなります。
元船舶参謀の三岡健二郎は、敵航空優勢下での輸送を「一ヶ月は十五日、一日は四時間、一万トンは二四〇トン」と表現しました。
月のない夜だけが行動可能で、日没後に泊地へ入り、日の出前に離脱するため、荷役できるのは1日4時間。その短い時間では、1万トンの輸送船でも240トンしか揚げられないという意味です。
これでは補給が成立するはずがありません。
日本陸軍は、技術的には間違いなく「上陸作戦のプロ」でした。しかし、その技術は航空優勢という前提があって初めて成立するものでした。
戦争が進むにつれてその前提が崩壊したとき、揚陸作業という生命線は断たれて補給は破綻し、兵士は戦う前に力尽きていったのです。
この失敗は、技術の優秀さと戦略の稚拙さが乖離した典型例と言えるでしょう。