6個大隊を30分で揚陸!世界屈指の上陸能力を持った旧日本軍、なぜ太平洋戦争で戦略崩壊したのか (2/5ページ)
揚陸団、停泊場司令部、水上勤務隊などは、名前こそ地味ですが、上陸作戦の成否を左右する重要な部隊となりました。
補給の現実こうした努力の結果、日本陸軍の揚陸速度は世界的に見てもかなり速いものとなったのです。
とはいえ、戦闘部隊だけを上陸させればよいわけではありません。
1個師団が3〜4か月戦うために必要な物資、いわゆる一会戦分は約1万トン。接岸荷役なら1隻で1日1,000トン、沖荷役なら800トンが限界で、師団規模の揚陸には5日ほどかかりました。
つまり、上陸作戦は「最初の30分の速さ」よりも「その後5日間の補給」が本当の勝負だったのです。
そして、この補給作業には絶対条件がありました。それが航空優勢です。
揚陸作業は海上での荷役が中心で、敵の航空機にとっては格好の標的になります。上空を味方が押さえていなければ、輸送船は次々と沈められてしまいます。
この前提が崩れたのが、1942年のガダルカナル戦でした。日本軍が建設していた飛行場をアメリカ軍に奪われたことで、島周辺の空は完全に敵のものになったのです。