【豊臣兄弟!】戦国の母・お市(宮﨑あおい) 自害で幕を閉じた悲劇と、三姉妹を生かすため選び続けた生涯 (2/5ページ)
織田家という有力大名の家に生まれたことは、守られた立場であると同時に、自分の人生を自分で選べないことを意味していました。
政略結婚から始まった人生1567年ごろ、お市の方は近江の戦国大名・浅井長政に嫁ぎます。織田家と浅井家の同盟を結ぶための、政略結婚でした。本人の意思がどこまで反映されたのかは分かりません。
当時の女性の心情を直接伝える史料は、ほとんど残されていないからです。この結婚によって、お市の方は大名家の正室となり、やがて三人の娘を産みます。
茶々、初、江。
のちに「浅井三姉妹」と呼ばれ、日本史の転換点に関わっていく女性たちです。
1570年、織田信長が越前の朝倉義景を攻めたことをきっかけに、浅井長政は朝倉方につき、織田家と敵対します。兄と夫が、敵として向き合う立場になる。お市の方は、そうした状況に置かれました。
このときのお市の方の心情を伝える同時代史料は、ほとんどありません。ただ、政治的にも家庭的にも、非常に厳しい立場だったことは間違いありません。
1573年、織田軍によって小谷城は落城します。浅井長政と父・久政は自害し、浅井家は滅亡しました。お市の方と三人の娘は城を出て、織田方に保護されたと伝えられています。
彼女はこのとき、三人の娘を抱えた未亡人となりました。
以後の人生で、お市の方に突きつけられるのは、「自分がどう生きるか」ではなく、「娘たちをどう生かすか」という選択でした。
再婚に込められた現実
1582年、本能寺の変で織田信長が倒れると、織田家の内部は急速に不安定になります。その中で、お市の方は柴田勝家と再婚します。この婚姻は、感情よりも政治的な意味合いが強かったと考えられています。
再び、有力武将の正室として、政局の中心へ。当時の情勢を考えれば、それが娘たちを守るための現実的な選択だった可能性は高いでしょう。