【豊臣兄弟!】戦国の母・お市(宮﨑あおい) 自害で幕を閉じた悲劇と、三姉妹を生かすため選び続けた生涯 (3/5ページ)

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実は秀吉が仲介だった!?お市の方と柴田勝家が結婚した理由

落合芳幾画「太平記英勇伝十三:柴田修理進勝家」(東京都立図書館)

北ノ庄城での最期

1583年、羽柴秀吉と柴田勝家の対立は決定的となります。賤ヶ岳の戦いで勝家が敗れ、北ノ庄城は包囲されました。

最終的に、勝家とお市の方は城内で自害したと伝えられています。お市の方は、37歳前後で生涯を終えました。

三人の娘を秀吉のもとへ送り助命を願ったという話もありますが、これは後世の記述による部分が大きく、史実としては慎重に扱う必要があります。

実はある「お市生存説」

一方、お市の方には生存説も存在します。それは、北ノ庄城が落城する前夜、お市は城の裏手を流れる川から脱出し、勝久寺(現在の福井県坂井市三国町)へと落ち延びたという説です。

また、三国湊の豪商・森田家に匿われたとも伝えられています。森田家は、織田信長を財政面で支えた商人の一人でした。その後、旧浅井家家臣の手引きによって近江国へ移り、お市は50歳前後まで生き延びた――何ていう話もあるようです。

ただし、この説を裏づける同時代史料は確認されていません。

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