『豊臣兄弟!』君は綺麗になった…信長が寧々に送った手紙がイケメンすぎる!一方、人たらし秀吉は
大河ドラマ「豊臣兄弟!」、前回の5話『嘘から出た実』ラストでは、これから大ピンチに陥りそうな藤吉郎(池松壮亮)と小一郎(仲野太賀)でした。
6話『兄弟の絆』では、二人は知恵と度胸で切り抜け、藤吉郎は望み通り寧々(浜辺美波)にプロポーズできるのでしょうか。
※藤吉郎と寧々の結婚に関して
『豊臣兄弟!』結婚時期に史実とのズレ…寧々は13歳で藤吉郎と結婚のはずなのに、なぜまだ告白前?必死の形相で「わしは寧々殿と夫婦になりたいのじゃ。夫婦になってずっと守っていくと決めたのじゃ」と叫んだ藤吉郎。
史実では、そんな藤吉郎は “女好きにもほどがある浮気者”でした。
実際に結婚後、寧々は夫の女好きに呆れ果て、織田信長に「どうにかしてくれ!」と訴え、信長は丁寧な手紙を出しています。その内容が、あの魔王とは思えないほどあまりにもスマートでジェントルマンな文章でした。
かたや、夫の秀吉も、寧々にはとても気を遣った内容の手紙を出しています。
今回は…
・イケメンで大人の余裕を感じさせる信長の手紙
・必死さも感じて笑ってしまう人たらし秀吉の手紙
・手紙の個性は異なれど、二人の武将に共通する「女性の感情が家中を回す」という判断
・戦国武将である男たちの人間性を引き出す存在であった寧々
を史実とともに比較、考察してみました。
夫の浮気に悩む寧々にあてた信長の手紙が
秀吉と寧々は、戦国時代には珍しく親の反対を押し切ってまで恋愛結婚をしたラブラブなカップル。結婚当時、寧々は12〜14歳ほどで秀吉は25歳ほどという、ひとまわりほど年齢差のある二人でした。
ところが生来の「女好き」の秀吉は、出世街道を爆進するほどにその権力に任せて女性を囲いまくっていきます。
そんな時、秀吉の浮気ぶりに腹を立てた寧々は悩んだ末に、織田信長のもとへ挨拶に出向き、側室や愛人に血道をあげている夫の相談をしたのです。
「魔王」と恐れられている信長に夫の浮気の相談をする寧々も、なかなか肝が据わっている女性ですよね。
寧々の相談に対して、信長はきめ細かい配慮の効いた手紙を出しています。その手紙は、重要美術品として現存しているのですが、非常に興味深い内容でした。
「前に会った時よりきれいになった」魔王の胸キュンワード
信長の手紙は…
仰せの如く、今度はこの地へはじめて越し、見参に入り、祝着に候。
殊に土産色々美しさ、中々目にも余まり、筆にも尽くし難く候。
で始まっています。現代版に意訳してみると、
「私の命でこの地(安土城)まで訪問しに来てくれて嬉しく思っている。その上に、土産の数々も美しく見事で、とても筆では言い表せないほどだ。」
と、紳士的なお礼の言葉で始まっています。
さらに、意訳してみると
「何かお返しをしたかったが、そなたの土産が見事だったので、何を返せばいいのかわからなかった。今度来たときに渡そうと思う。そなたの美貌は、以前に会った時よりも十のものが二十になるほど美しくなっている。」
と続くのです。
「前に会った時より、ずっと君は綺麗になった…」なんて、まるで現代のJ-POPの歌詞のような、胸キュンなパワーワード!
あの残酷な魔王と知られる信長が、こんなイケメンぶりを発揮する手紙を送るなんて意外ですよね。
さらに、
「藤吉郎が、そんなあなたに文句を言うなどとんでもない。そなたほどの女性を、あの“はげねずみ”は二度と見つけることはできない。
これからは、正室らしく堂々として、つまらないヤキモチなど妬かないように。もし女房としてなにか言いたい時は、全て言わないである程度にとどめておきなさい。この手紙は藤吉郎にもみせるように。 のぶ」
と締めくくられています。
寧々のことを労い、土産などに気を遣い、美貌が衰えずさらにきれいになったねと褒め、あの「ハゲネズミ」はけしからんと共感し。
最後は、「でも正室なのだから、ヤキモチなんか妬かず堂々としていなさい。言いたいことは100%ぶつけないでほどほどに」と柔らかく諌めています。最後に、「藤吉郎にもみせるように」添えているのも気遣いがありますね。
この手紙、最初は行間があいているのですが、徐々に筆が乗ってきたのか、後半はどんどん行間が詰まって字が小さくなり「むむ、書ききれない!」みたいになっています。
もっと褒めたり慰めたりしようと思って“信長も頑張ったのかな”と、微笑ましく感じてしまいました。
しかも、信長の「天下布武」の印章が捺されています。信長が自分の意思で書いた正式な文書に捺されるものです。
秀吉の度が過ぎた浮気を諫める手紙に「天下布武」とすることで、寧々が秀吉に見せやすくした、寧々が秀吉に怒られないようにしたのでしょうか。
上は、寧々宛の織田信長筆仮名消息(wiki)。後半になると文字が詰まってます。
「女性」を政治的な存在と認識していた?冷酷な部分がクローズアップされる信長ですが、“女性の扱い方ひとつで家中も動く”と、理解していたような気がします。
寧々の訴えを「たかが女のやきもち」で雑に片付けずることは“政治的にマイナス”と判断したのではないでしょうか。
実際、信長の手紙は、まずねねの感情を先に受け止め、「それは腹立たしかろう」と共感し、秀吉を諭し寧々もやんわり諭すという順番。
「正論より、先に感情を受け止め共感して、やんわりと諫める」内容は、なかなか現代的な構成です。同時代の武将の書状としては、かなり異例と分析する意見もあります。
また、信長の周囲には正妻・濃姫、妹・お市ほか「黙らない女性」が多かったために「女性に対して“口を出すな”と押さえ込んでしまうよりも、上手に扱ったほうが合理的だ」と、大人の権力者らしい判断をしたとも考えられます。
いわゆる「フェミニスト」ではないものの、女性の感情を軽視すると、いずれ家中や政治に危険を及ぼす可能性がある……ということを知っていたのでしょう。
冷酷で合理性を追求する信長が、ときには驚くほど人間味のある手紙を書くというこのギャップは、そんなところから生まれたのかもしれません。
めちゃ正室に気を遣っている秀吉の手紙
かたや、女好きだった秀吉も、寧々のことを蔑ろにしていたわけではありません。「人たらし」らしい気遣いもありました。
例えば、天正18年(1590)の小田原攻めの最中、陣中から寧々に送った手紙があります。
そなたより久しく御おとつれなく候まま、御心もとなくおもひまいらせ候て、わざと筆をそめ申し候……ねんごろに返事まち申し候。
「手紙が来ないので心配しているよ。返事を待っているよ」という内容です。
寧々に宛てた秀吉の手紙。「北政所宛豊臣秀吉自筆書状」追伸の中で秀吉が風邪をひいていると述べていること、淀君の懐妊についておねへ配慮していることなどが挙げられる。(文化遺産オンライン)
また、文禄2年(1593)に朝鮮出兵の本営から送った手紙には、側室の淀殿が懐妊したことを聞いて天にも昇るほど嬉しいはずなのに、子供のいない正室の寧々には非常に配慮して文章を書いています。
又にのまるとの(二の丸殿)、ミもちのよし、うけ給候、めてたく候、われわれは小ほしく候はす候まま、其心へ候へく候……
二の丸(淀君)の懐妊を聞いたけれども、自分はことさらに子は欲しいとは思っていないのだ……と書いています。
わざわざ追伸で「この間はすこしかいき(咳気)いたし候」と、「ちょっと風邪ひいてしまった」などと書いているのも、寧々を心配させたかったのか、秀吉らしいですね。
秀吉は、側室たちにも手紙を送っていますが、寧々宛の手紙が一番多かったとのこと。決して達筆とは言えず誤字脱字も多い個性的な手紙ですが、あけっぴろげでストレートに感情を伝える内容が多かったようです。
「寧々がいることで家中がうまく回っている」と理解
もともと農民だった秀吉は、子飼いの家臣はいませんでした。
そのため地位を上げていく途中で、自分の親戚から子らを預かり、寧々が少年時代から育て上げています。そんな寧々に秀吉は敬意を払い続けたそうです。
寧々は、秀吉が城をあけて不在時には政務を務めたり朝廷との交渉を引き受けたり、人質の諸大名の妻子の面倒をみたりなどさまざまなサポートも行っていたために周囲からは一目も二目も置かれる存在でした。
まだ秀吉が何者でもない時代に夫に選んでくれ、散々浮気をしたものの政治的なことも相談できて頼りになる……そんな寧々に対するリスペクトの気持ちは強く、絶対に二人の仲が壊れるようなことは避けたかったのでしょう。
家臣の相談役・側室たちのまとめ・自身の対外的なイメージを整えてくれる存在なので、「寧々がいることで家中がうまく回っている」ということは肝に銘じていたのでしょう。
根本的に女好きで浮気を自制できない秀吉。(前回のドラマで、姉のなか(宮澤エマ)に「色ボケ猿」と言われてましたね。)
けれども、寧々の感情が自分の立場や家中の安定に直結することを、よく理解していたのでしょう。
最後に
「寧々の嫉妬」を蔑ろにせずに、感情を受け止め共感し諭す部分は諭しつつ、ちょっと女心をくすぐる胸キュンワードを入れるのも忘れない信長の手紙。浮気はやめられないけれど「寧々あっての豊臣家」と認識している秀吉。
文章内容は異なれども、「寧々」という人物に一目を置き、大切な存在と考えているのがよく分かりますね。冒頭で書いたように、本当に寧々という人は、「戦国武将である男たちの人間性を引き出す存在」だったと感じました。
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田端泰子『北政所おね -大坂の事は、ことの葉もなし-』
黒田 基樹『羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで』
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan


