朝ドラ「ばけばけ」史実では庄田多吉と結婚!野津サワ(円井わん)のモデル・山脇房子、渡部トミの生涯 (3/5ページ)
その姿はおサワと重なる部分もありますね。
やがて成長した房子は、生涯の伴侶と巡り合います。
明治27(1894)年、行政裁判所評定官・山脇玄と結婚。玄は医者の息子であり、留学して法学を学んだ人物でした。
玄との出会いは、房子を教育だけでなく社会運動への参加へ繋げていったようです。
明治33(1900)年11月、房子は鳩山春子らと共に少女衣服改良会を設立。翌明治34(1901)年11月には、足尾鉱毒事件の被害者救済のために鉱毒地救済婦人会を立ち上げました。
しかし教育者としての情熱も消えていません。
明治36(1903)年、玄が設立した女子実脩学校の校長に就任。近代的な女子教育の中心的立場となって活動します。
同校は明治41(1908)年に山脇高等女学校に改組。女子の高等教育機関として、女子教育の充実と女性の地位発展に寄与していきます。
房子は女子教育に力を入れながら、社会運動との関わりを重要視していました。
大正4(1915)年1月には、津田梅子らと共に発起人とし大正婦人会を設立。労働者のための託児所を設置するという近代的な取り組みを行なっています。
同年には、房子の今までの取り組みが評価され、津田らと共に勲五等宝冠章を、昭和3(1928)年には勲四等瑞宝章を授与されています。
昭和10(1935)年11月19日、房子は世を去ります。享年68。
まだまだ女性の社会進出や権利が不安定な時代に、女性の社会運動と女子教育に一生を捧げた人生でした。