実は“カネの亡者”だった戦国武将・明智光秀──人望を金銭で補おうとした資金調達係の末路

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実は“カネの亡者”だった戦国武将・明智光秀──人望を金銭で補おうとした資金調達係の末路

金のためなら皆殺し

明智光秀は、知名度の高さとは裏腹に謎の多い人物です。家系、生年、さらに織田信長に仕えるまでの経歴さえ確定しておらず、本能寺の変の動機もいまだに議論が続いています。

明智光秀(Wikipediaより)

とはいえ、信長が光秀を高く評価していたことだけは史料からも明らかです。そしてその理由は、つまるところ光秀の資金調達力が家中随一だったからに他なりません。

戦国大名は、戦をするにも莫大な金が必要でした。すなわち領国の統治とは経営そのものであり、信長もまた常に膨大な資金を必要としていました。その期待に応えたのが光秀だったのです。

ただし光秀のやり方は、上には従順で下には苛烈という、現代でいえばブラック企業の中間管理職のようなものでした。

例えば丹波亀山城の築城では、作業員110人への支給米が相場より25%も少なかったことが記録に残っています。

信長に気に入られるために、自分の配下からは容赦なく搾取するというのが光秀の実像だったのです。

光秀は、創作では清廉な人物像になりがちで、それが信長の理不尽さ・傍若無人ぶりと対比されるのが常です。しかし史実の彼は、金のためなら手段を選ばない現実主義者でした。

その姿勢は、かの延暦寺焼き討ちでも顕著に表れています。

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責任者に抜擢されると、彼は「延暦寺に味方する仰木家など皆殺しにせよ」と書状に記し、積極的に殺戮を提案していました。

山科けいすけのギャグマンガ『SENGOKU』では、光秀が信長に取り入るために咄嗟に「延暦寺なんて皆殺しにしましょう!」と適当なことを言ったため、信長が「俺はテキトーに済ますつもりだったけどあいつがそう言うなら…」と虐殺に走るエピソードがありましたが、意外と真実を衝いていたのです。

光秀がここまで乗り気だった理由は、延暦寺攻めの成功で近江国を与えられる約束があったためです。巨額の富が手に入る見返りが、光秀の行動を突き動かしていました。

神仏も怖くない

ちなみに光秀の名誉のために付け加えておくと、延暦寺焼き討ちについては『信長公記』でも「雲霞の如く焼き払った」と記されていますが、地質調査では大規模な焼失の痕跡は見つかっていません。

実際には、光秀軍は大量の薪を燃やして煙を発生させ、恐怖を煽るような心理戦を行った可能性が高いと考えられています。

比叡山は正面から攻撃を受けた経験がほとんどなく、煙に包まれた光景だけでパニックに陥り、早期に降伏したと推測されます。

戦が長引けば経費がかさむため、これは光秀にとっては理想的な展開でした。

坂本城址公園の明智光秀像

しかしその後、彼の本性は剥き出しになります。光秀は延暦寺以外の寺領を徹底的に没収し、財産を私物化しました。

彼が延暦寺に優しかったのは信長の名声を守るためであり、光秀自身は神も仏も怖くない、金だけがほしいという姿勢を貫いていたと言えるでしょう。

また、光秀が信長に恨みを抱いたとされる「金柑頭」と呼ばれたなどの逸話は江戸時代の創作で、史料的根拠はありません。

むしろ光秀が謀反を起こした理由は、信長の金欠による支払い遅延など、金銭面のトラブルだった可能性もあります。晩年の信長は常に資金難の状態でした。

徹底的に「人を金で動かす」

さて本能寺の変の後、光秀は安土城に乗り込み、蓄えられていた金銀財宝を手に入れました。

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錦絵『本能寺焼討之図』楊斎延一画(Wikipediaより)

ここまでは当時の勝者として一般的な行動ですが、光秀はそこから現代換算で数億〜数十億円規模のバラ撒きを行い、味方を増やそうとしています。

宣教師ルイス・フロイスの記録では、光秀は有力武将に7,000クルザード(約1億6千万円)を与えたとされます。朝廷にも2万クルザード(約4億6千万円)を献金しました。

さらに光秀は京都の庶民にも減税を行い、「人間は金で動く」という信念を徹底していました。

たしかに戦国時代の武将は金で動くことが多く、秀吉も備中高松城からの帰還時に兵へ臨時ボーナスを支給しています。しかし、光秀のバラ撒きは規模が桁違いでした。

しかし致命的なことに、光秀には秀吉のような人望がありませんでした。

その結果、ご存じの通り光秀の天下は「十日天下」(実際は十一日でした)で幕を閉じます。

山崎の戦いで敗れ、逃亡中だった彼は「逃亡に協力してくれた者に莫大な黄金を与える」と約束していたにもかかわらず、農民に襲われて死亡したのです。

天下人に必要なのは金だけではなく、人を惹きつける力でした。光秀の資金調達力は優秀でしたが、それは同時に彼を孤立させる諸刃の剣でもあったのです。

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参考資料:
堀江宏樹『日本史 不適切にもほどがある話』三笠書房、2024年
画像:Wikipedia,photoAC

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