【豊臣兄弟!】斎藤竜興を見限った美濃三人衆・氏家直元(河内大和)の生涯と末路をたどる (2/4ページ)

Japaaan

斎藤三代から信長へ鞍替え

氏家直元は永正9年(1512年)ごろ、氏家行隆(ゆきたか)と長井氏(利隆女)の間に誕生しました。

はじめ斎藤道三に仕えますが、弘治2年(1556年)に嫡男の義龍が決起するとこちらに与したと見られ(長良川の合戦)、道三敗死後は義龍の側近としてその施政を補佐します。

しかし永禄4年(1561年)に義龍が急死して嫡男の竜興が家督を継ぐと、折り合いが悪くなってしまいました。

そのため永禄10年(1567年)に織田信長(小栗旬)が美濃へ攻め込んでくるとこれに内応。斎藤氏の滅亡(竜興が国外逃亡)後は織田家臣として仕えるようになります。

……美濃三人衆稲葉伊予守(良通)氏家卜全(直元)安東伊賀守(守就)申合候て信長公へ御身方に可参(さんずべく)候間(そうろうかん)……

※『信長公記』首巻「いなは山御取候事」

【意訳】美濃三人衆(稲葉良通・氏家直元・安藤守就)が申し合わせて信長に味方しようと決めたので……。

この頃に直元は出家、氏家卜全(ぼくぜん)と号しました。カタカナのトみたいですが、これは「ぼく(占う意)」と読みます。

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