【豊臣兄弟!】斎藤竜興を見限った美濃三人衆・氏家直元(河内大和)の生涯と末路をたどる (3/4ページ)
信長が足利義昭(尾上右近)を奉じて上洛するとこれに従い、永禄12年(1569年)の伊勢攻めや元亀元年(1570年)の姉川合戦で武勇を奮いました。
しかし元亀2年(1571年)5月16日、長島一向一揆との合戦において討死してしまったのです。
……柴田修理(しゅり)見合(みあい)殿(しっぱらい)候之処(そうろうのところ)一揆共噇(きょうどう)と差懸(さしかかり)散々相戦柴田被薄手(うすでこうむり)罷退(まかりひく) 二番氏家卜全取合及一戦(いっせんにおよび)卜全其外(そのほか)家臣数輩討死候し(そうらいし)也……
※『信長公記』巻四「大田口合戦之事」
【意訳】殿軍の柴田勝家(山口馬木也)が退却し始めると、一揆勢は一気に襲いかかって織田勢は防戦に追われた。勝家は軽傷を負いながら何とか退却したものの、二番手の氏家卜全は家臣たちと共に討死してしまう。
かくして武運尽きてしまった直元ですが、これは長島攻めに際して信長の命で多くの神社仏閣を焼き払った祟りだったのかも知れませんね。
息子たちの活躍氏家直元には三人の息子がおり、それぞれに活躍しました。
