【豊臣兄弟!】斎藤竜興を見限った美濃三人衆・氏家直元(河内大和)の生涯と末路をたどる
斎藤道三(麿赤兒)・斎藤義龍(DAIGO)・斎藤竜興(濱田龍臣)――美濃を揺るがした斎藤家三代。その中で、主君が変わっても最前線に立ち続け、最後は信長に“鞍替え”する側へ回った男がいます。氏家直元(河内大和)です。
彼はのちに、安藤守就(田中哲司)・稲葉良通(嶋尾康史)と並び「美濃三人衆」と呼ばれる存在に。
斎藤竜興から信長に寝返り!『豊臣兄弟!』に登場の“美濃三人衆”が辿ったそれぞれの末路大河ドラマ「豊臣兄弟!」でも、美濃攻略や調略が描かれるなら、彼の立ち位置はきっと重要になります。
今回は氏家直元を紹介。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」を楽しむ参考になれば嬉しいです。
河内大和演じる氏家直元。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式Xより
斎藤三代から信長へ鞍替え■氏家直元 / 河内 大和
うじいえ なおもと / こうち やまと美濃三人衆の一人
龍興とは折り合いが悪く、己の諫言(かんげん)が聞き入れられないことに危機感を抱く。
※NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
氏家直元は永正9年(1512年)ごろ、氏家行隆(ゆきたか)と長井氏(利隆女)の間に誕生しました。
はじめ斎藤道三に仕えますが、弘治2年(1556年)に嫡男の義龍が決起するとこちらに与したと見られ(長良川の合戦)、道三敗死後は義龍の側近としてその施政を補佐します。
しかし永禄4年(1561年)に義龍が急死して嫡男の竜興が家督を継ぐと、折り合いが悪くなってしまいました。
そのため永禄10年(1567年)に織田信長(小栗旬)が美濃へ攻め込んでくるとこれに内応。斎藤氏の滅亡(竜興が国外逃亡)後は織田家臣として仕えるようになります。
……美濃三人衆稲葉伊予守(良通)氏家卜全(直元)安東伊賀守(守就)申合候て信長公へ御身方に可参(さんずべく)候間(そうろうかん)……
※『信長公記』首巻「いなは山御取候事」
【意訳】美濃三人衆(稲葉良通・氏家直元・安藤守就)が申し合わせて信長に味方しようと決めたので……。
この頃に直元は出家、氏家卜全(ぼくぜん)と号しました。カタカナのトみたいですが、これは「ぼく(占う意)」と読みます。
長島一向一揆で討死
信長が足利義昭(尾上右近)を奉じて上洛するとこれに従い、永禄12年(1569年)の伊勢攻めや元亀元年(1570年)の姉川合戦で武勇を奮いました。
しかし元亀2年(1571年)5月16日、長島一向一揆との合戦において討死してしまったのです。
……柴田修理(しゅり)見合(みあい)殿(しっぱらい)候之処(そうろうのところ)一揆共噇(きょうどう)と差懸(さしかかり)散々相戦柴田被薄手(うすでこうむり)罷退(まかりひく) 二番氏家卜全取合及一戦(いっせんにおよび)卜全其外(そのほか)家臣数輩討死候し(そうらいし)也……
※『信長公記』巻四「大田口合戦之事」
【意訳】殿軍の柴田勝家(山口馬木也)が退却し始めると、一揆勢は一気に襲いかかって織田勢は防戦に追われた。勝家は軽傷を負いながら何とか退却したものの、二番手の氏家卜全は家臣たちと共に討死してしまう。
かくして武運尽きてしまった直元ですが、これは長島攻めに際して信長の命で多くの神社仏閣を焼き払った祟りだったのかも知れませんね。
息子たちの活躍氏家直元には三人の息子がおり、それぞれに活躍しました。
長男・氏家直昌(なおまさ):後に斎藤竜興を討ち取る 次男・氏家行広(ゆきひろ):大坂夏の陣で自刃 三男・氏家行継(ゆきつぐ):細川忠興に仕え、家名を受け継ぐ父の名に恥じぬ武勇を奮った息子たちの勇姿を見届け、草葉の陰で喜んでいたことでしょう。
果たしてNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では親子そろっての活躍も見られるのか、今後楽しみにしています。
斎藤竜興から信長に寝返り!『豊臣兄弟!』に登場の“美濃三人衆”が辿ったそれぞれの末路 【豊臣兄弟!】“無事を信じて待つ”身の辛さに気づいた小一郎…なのに、直に迫る悲劇とは?※参考文献:
阿部猛ら編『戦国人名事典』新人物往来社、1987年2月 木下聡『斎藤氏四代 人天を守護し、仏想を伝えず』ミネルヴァ書房、2020年2月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

