新撰組・土方歳三と渋沢栄一は“友人”だった!なぜ接点が?──幕末京都に残る意外すぎる証言 (3/4ページ)

Japaaan

この時、普通なら命の危険があったはずですが、渋沢が土方の名を出すと隊士たちは引き下がったとか。

この話が事実なら、渋沢と土方の間には、名前を借りられるほどの信頼関係があったことになるでしょう。

しかしこれは、二人が友人同士だったことを示す傍証に過ぎません。そもそもなぜ二人の間にそのような信頼関係が生まれていたのか、またなぜそれは後世でもほとんど知られていないのか、その点は説明できません。

遊興好きという共通点

この二人にはもうひとつの接点があります。夜の世界です。

京都には祇園や島原といった色街があり、当時の若い武士や隊士が集う場でもありました。

もともと渋沢は遊興好きだったとされ、たくさんの妾がいたことで有名です。そして土方もまた京都の夜の世界に通じていました。

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二人がこうした場所で交流していた証拠はありませんが、状況から考えると十分にありえます。

もしそうした関係があったとしても、夜の街での遊びが関わってきますから、自伝に書き残すような内容ではないでしょう。そのように考えると、渋沢が土方との交流についてあえて多く語らなかったこと自体も説明がつきます。

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