朝ドラ「ばけばけ」祖先の神々を尊べ!ヘブン先生の言葉に魅せられ…正木清一のモデル・ 石原喜久太郎の生涯 (3/6ページ)
喜久太郎は優れた学友たちに囲まれながら、学問を学び将来を思い描いていたと思われます。
そんななか、明治23(1890)年9月、ラフカディオ・ハーンがアメリカから来日。松江の島根県尋常中学校の英語講師となります。
喜久太郎にとって衝撃だったのはハーンの態度でした。
天長節(天皇誕生日)の際、ハーンは御真影(明治天皇の写真)に敬礼。喜久太郎は通常の外国人教師とは違うと確信します。
前任の外国人教師は「キリスト教以外の神を尊ぶものは野蛮人」と言っていました。しかしハーンは「その人こそ無学な野蛮人だ」と言います。そして「祖先の神々や国家の宗教を尊ぶことが君たちの義務」と語りました。
ハーンに魅了された喜久太郎は、以降親交を深めるようになります。加えて生きた英語に触れたことは、のちの喜久太郎の人生の糧となっていきました。
明治25(1892)年、喜久太郎は尋常中学校を卒業。この後、旧制高校(どこかは不明)に入学したと思われます。
明治30(1897)年ごろに東京帝国大学医科大学(現在の東京大学医学部)に入学。明治34(1901)年に卒業しています。
同年には、恩師である緒方正規〔おがた まさのり〕の門に入り、母校で助手として教育・研究に携割るようになりました。
ここでの関心領域は衛生学者としての道筋と、細菌学者としての基礎訓練でした。
明治37(1904)年には侍医局(御用掛)に転任。明治41(1908)年に助教授に昇任を果たしました。
大正8(1919)年には教授となり、以後は伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の技師を兼任しました。
喜久太郎は衛生学者としての道を固めながら、確かに歩んでいました。