朝ドラ「ばけばけ」祖先の神々を尊べ!ヘブン先生の言葉に魅せられ…正木清一のモデル・ 石原喜久太郎の生涯 (5/6ページ)

Japaaan

本書のなかで喜久太郎は、「日本の学校衛生の歴史は明治二十四年(1891)十月を出発点と見なせる」といった問題提起を行い、制度史と実務(検診・結核対策など)を往還させる視点を示しています。

研究論文でも学校衛生行政史の文脈で同書が頻繁に参照されており、教育・保健史の交差点で位置づけられる仕事でした。

また、当時の青年団・体操・武道をめぐる「身体の鍛錬」論議に対しても医学・衛生の観点から発言。身体教育をめぐる公共政策と保健医療を架橋しようとしました。

大学・省庁・社会団体が横断的に関与する領域で、医師として可能な役割を粘り強く模索した点に、喜久太郎の実務家としての顔がよく表れています。

東京大学医学研究所。伝染病研究所が源流の一つとなった(出典:ウィキペディア)。

「衛生」と「社会」をつないだ栄誉

やがて喜久太郎の長年の取り組みが評価される時が訪れます。

昭和3(1928)年、喜久太郎は勲三等瑞宝章を受章。翌昭和4(1929)年には前掲の日本学士院賞に加えて北里研究所浅川賞も受けています。

学界・官界の双方から評価を受けたことは、大学講座での教育研究と、伝研・行政現場での応用実務の双方で足跡を残した研究者であったことを物語ります。

その後も喜久太郎は細菌学者としての基礎研究と、学校衛生・公衆衛生の制度整備という「現場」の二正面に目を配り続けました。

昭和19(1944)年6月13日、喜久太郎は世を去りました。享年73。

出身地・松江の名を背負い、首都圏の学術・行政の中心で培った知を通じて、近代日本の「病」と「社会」を結び直すための礎を築いた生涯でした。

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