日本史上屈指の“怨霊”はこうして生まれた…学問の神様・菅原道真が失脚した本当の理由 (3/4ページ)
朝廷は国司の腐敗を止めるどころか、逆に中間搾取を公認する方向へと舵を切っていきました。
朝廷は、一定額の税収さえ確保できれば、それ以上の徴収分は国司の取り分としてよいという制度を導入したのです。
これは財源確保のための苦肉の策でしたが、農民にとっては負担増でしかありませんでした。
こうなると国司はやりたい放題です。規定以上の税を取り立て、農民は税を減らしてもらうために賄賂を渡すようになり、荘園化はさらに加速しました。
この構造は、のちに藤原道長らが賄賂によって巨額の富を築く土台にもなりました。つまり、菅原道真が止めようとした腐敗は、彼の失脚によってむしろ強化されてしまったのです。
とはいえ道真の死後、藤原時平らは次々に不審死を遂げ、ご存じの通り菅原道真の祟りとして恐れられます。
道真の霊は、日本史上屈指の怨霊のひとつとして語り継がれていったわけです。このことは、当時の人々が道真に対する仕打ちをどれほど後ろめたく感じていたかを物語っていると言えるでしょう。
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