日本史上屈指の“怨霊”はこうして生まれた…学問の神様・菅原道真が失脚した本当の理由 (2/4ページ)

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つまり、道真は朝廷の財政を立て直すために、利権の核心に手を入れたのです。

名門貴族の致命傷

道真の改革が狙ったのは、京都の名門貴族と悪徳国司、そして富裕農民が結びついた脱税ネットワークです。

貴族が後ろ盾となり、農民が公地を勝手に寄進し、国司が賄賂で黙認することで荘園は拡大し続けていたわけですが、これにより朝廷の税収は激減し、国の財政は危機的状況に陥っていました。

宇多上皇はこの悪弊を断ち切るため、名門ではない道真を改革担当者に指名したのです。

宇多上皇(Wikipediaより)

道真はこのように利害関係のない立場から、国司の監査強化や徴税の適正化を進めようと試みます。

実際、この改革は名門貴族たちにとって致命的なものでした。道真の改革は国司の腐敗と同時に自分たちの富の源泉を揺るがすものだったのです。

そこで宇多上皇が政治から手を引いた隙を突き、藤原時平ら名門貴族は結託して道真を失脚させます。

昌泰四年、道真は無実の罪で大宰府へ左遷され、そのまま帰京することなく亡くなりました。

道真は、一般的によく言われるように単なる嫉妬でこのような目に遭ったのではなく、利権を守るための政治的陰謀によって陥れられたのです。

利権拡大と怨霊

さて、道真が失脚した後はどうなったのでしょうか。

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